サワッディーかー&ぼんじーあ!タイとブラジルの虜、ぴょんぴょ子です!
以前にポルトガル人居住区に関する記事を出しましたが、今回はそんなポルトガル人居住区で今もなお受け継がれているサイアム・ポルトガル料理についてご紹介します!
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サイアム・ポルトガル料理
今回ピックアップするサイアム・ポルトガル料理とは、主にタイの首都バンコクのトンブリー区にあるポルトガル人居住区(クディヂン集落)にて先祖代々受け継がれている料理です。
「ん?バンコクのポルトガル人居住区??」
とハテナがポコポコ生まれても大丈夫なように、サイアム・ポルトガル料理について詳しく紹介する前に、まずはざっくりタイにおけるポルトガル人の歴史を紹介しておきますね。
タイのポルトガル人の歴史
今から遡ること約500年前、タイに初めてポルトガル人が上陸します。
当時はアユタヤ朝のタイで通商と居住の権利が与えられ、タイに拠点を構えるポルトガル人はアユタヤで生活をしていました。
それから約250年後、2度に渡るビルマ軍の侵攻によりアユタヤ朝は陥落。
チャオプラヤー川を南下する形で生き延びたタークシンを筆頭にする勢力が、1767年、現在のバンコクはトンブリー区にトンブリー朝を建てます。
そのころタークシン王は、共に戦ったポルトガル人傭兵に対し現在のクディヂン集落の一部を生活拠点として与えました。その土地が、いわゆるポルトガル人居住区です。
ポルトガル人やその子孫たちがこのポルトガル人居住区やその周辺に徐々に移住し、コミュニティが再形成されていったようです。
このようなタイに移住したポルトガル人やその子孫は、当時はサイアム・ポルトガル人(สยามโปรตุเกส)と呼ばれていました。
貿易が盛んだったアユタヤ王朝時代では、移住したポルトガル人男性と現地のタイ女性の結婚はもちろんのこと、日本をはじめとする諸外国から移住してきた外国人や、彼らとタイ人との間に生まれた子孫などとの混血児も多くいたようで、ポルトガル人の血を受け継ぐ者は大括りに「サイアム・ポルトガル人」とされていたようです。
日本では「日系人」として伝えられることの多いアユタヤ時代の歴史上人物マリー・ギマルド女史も、ポルトガルの血が入っているので「サイアム・ポルトガル人」でもあるわけです。
サイアム・ポルトガル料理とは
そんなポルトガル人居住区で今でも代々受け継がれている料理が、今回ご紹介するサイアム・ポルトガル料理です。
一体どのような料理なのかというと、要はポルトガル料理やポルトガル人が食べていた料理をタイの材料で模倣した、サイアム・ポルトガル人の家庭料理なのです。
サイアム・ポルトガル人コミュニティにおいて、故郷ポルトガルの味やポルトガル人が食べていたものを再現しようにも、当時のタイでは同じ材料が手に入らなかったそう。
中国などの近隣諸国から輸入されたものも含め、当時のタイで手に入る材料で試行錯誤して作り上げた結果生まれたのが、今日でも珍しい「サイアム・ポルトガル料理」なのです。
ではこのサイアム・ポルトガル料理の味はどうなのかと言いますと、、、
ぴょんぴょ家の感想として「ポルトガル料理か?」と聞かれたらNOですが、「タイ料理か?」と聞かれたら「タイの地方料理にあっても不思議ではない味」と答えるたくなるような味です。
つまりどちらかといえばタイ料理寄りの味ってことです。(あ、普通に美味しいです)
歴史的にポルトガルとの関係がより密接なブラジルにも、もちろんポルトガルから伝わった料理は多数あります。が、味はポルトガル料理そのもの、と言えるものが大半ではないでしょうか。
例えば、干し鱈のコロッケことボリーニョ・ジ・バカリャウというポルトガル料理は、そのままの味でブラジルの「食」として誰もが知るポピュラーなメニューとして市民権を得ています。
タイと違いブラジルの場合はポルトガルの植民地となっていた、という背景もあり、あくまでぴょんぴょ子の予想ですが代替品を使わずポルトガルの食材(干し鱈)を使えていたことから、ポルトガルの味をそのまま表現でき、この状態で普及していったのでしょうか。
その点からすると、サイアム・ポルトガル料理はタイの一角でしか食べることができない希少性がある上に独自の進化を遂げているので、幻のポルトガル料理といえるかもしれません。
サイアム・ポルトガル料理レストラン
そんな貴重なサイアム・ポルトガル料理ですが、実際に味わうことができるお店がクディヂン集落に何軒かあります。
その中でも最も有名なのが、サイアム・ポルトガル人のオーナー夫妻が営むバーン・サクントン(英語表記だとサクルトン・ハウス)という名のレストラン。
事前予約必須のコース制のレストランで、サクルトン家で代々伝わるサイアム・ポルトガル料理の他、宮廷料理を味わうことができます。
サイアム・ポルトガル料理のメニュー
というわけで、ここからはこのバーン・サクントンで味わえる、サクルトン家のサイアム・ポルトガル料理のメニューをご紹介したいと思います!
サップイェーク สัพแหยก
上の写真の右に映る黄色い食べ物が、サップイェーク。
カレー味の汁なし肉じゃが、じゃがいものドライカレーといった感じの味と感触で、とても食べやすい逸品でした。
細かく切った肉をスパイスと炒め、酸味のある酢と甘みのある砂糖と塩味を調整するために魚醤で味つけされているようです。
一般的にはご飯と一緒に食べられるようですが、パンとも合いそうなお味。
ポルトガル人の影響で誕生したメニューですが、厳密にいえばポルトガルの植民地だったインドの料理や香辛料の影響を受けているようです。
カノムヂーン・ガイクア(カノムヂーン・ポルトゲース)
カノムヂーン・ガイクア(ขนมจีนไก่คั่ว)またはカノムヂーン・ポルトゲース(ขนมจีนโปรตุเกส)。
カノムヂーンとは、素麺のような見た目の麺のことでカレーなどの汁物系とよく食されるもの。カノムヂーン自体はタイ全土で食べられています。
このカノムヂーン・ガイクアは、カノムヂーンに鶏肉や鶏の血を固めたもの&内臓のレッドカレーをかけた、カレー素麺のようなもの。サクルトンハウス以外でもクディヂン名物として目にすることができます。
この料理の歴史についてサクルトンハウスのオーナーに尋ねると、西洋のスパゲティを当時のタイで再現しようとしたところ、スパゲティの代わりにカノムヂーンが、スパゲティソースの代わりにこのレッドカレーが用いられて、広まったのだとか。
しかも当時のタイではココナッツミルクはスイーツ作りに使われるものだったようで、料理に用いるという発想はインドから取り入れたという、画期的なメニューだったそうな。
ただ、他の説によると、カンボジア料理の影響によるとも言われています。
トンブリー王朝の次の王朝であるラタナコーシン朝のラーマ1世時代に、カンボジアのあたりから逃げてきたポルトガル人やポルトガル系の人々がポルトガル人居住区やその周辺に移住してきたため、彼らが現地で食べていたものを再現して広まったという説です。
もしカノムヂーン・ポルトゲースがカンボジア由来となると、タイ語でカノムはお菓子、ヂーンは中国、ポルトゲースはポルトガル語を表すので、直訳すると「カンボジア由来の中国ポルトガル菓子」となりタイ語話者として一瞬頭が混乱します。
が、カノムヂーンとはそもそもモン語で「熟した麺」を意味する単語から名付けられた単語なので、「中国のお菓子」という意味ではないです。一応補足まで。
カンボジア由来の食べ物だとしても、ポルトガル系の人々のコミュニティで食べられていたわけですから、ポルトガルとクメールの料理を融合させたものを更にタイ化させた料理ってことになりますね。
肝心の味はというと、レッドカレーほどの辛さはなくどちらかといえば甘かったです。
鶏の血や内臓が独特の苦みと臭みがあるので、苦手な人は苦手かもです。
ご想像の通りだと思いますが、スパゲティ感はゼロです。
ムートムケムポルトゲース หมูต้มเค็มโปรตุเกส
ムートムケムポルトゲース、直訳すると、豚のしょっぱ味ポルトガル煮こみってところでしょうか。
豚のほろほろ感や味付けが、どことなく豚の角煮やタイ料理のパロー(พะโล้)に似ていました。
豚肉を塩コショウと黒醤油で下味をつけ、ココナッツシュガーと白砂糖の2種類の砂糖を使用して肉が柔らかくなるまで煮こみ、ポテトとトマトを加えて塩味と甘味を調整して作るんだそう。
元ネタは要はシチュー(stew)とのこと。
ケチャップの代わりにトマトを代用して作られている、との説明を受けたのですが、トマトも一緒に煮込めばドロドロになってケチャップ風になるのになぁ、なんて思いながら、トマトが原型をとどめた状態でスープに入っているのが面白く、ついつい眺めてしまいました。トムヤムクンでもここまで綺麗に残っていることは珍しいのに。
トムマファート ต้มมะฝาด
野菜と肉を煮込んだ料理。
ポルトガルのコズィード・ア・ポルトゲーザ(Cozido à portuguesa)が由来だそう。
コズィード・ア・ポルトゲーザは肉や加工肉と、人参、ジャガイモや葉物野菜と煮込み、具の部分だけがサーブされる料理。なのでこのトムマファートもスープから具材だけ取り出して盛り付ければ似るっちゃ似ると思います。
加工肉を使わない分、どちらかというと中華系料理の肉&野菜スープ(鍋?)のジャップチャーイ(จับฉ่าย)に似ていますが、パクチーやクミンやお酢などを使っていることもあり、味はタイ料理のゲーンソムに似ていました。
ちなみにオーナーさんは「普通はアップルサイダーを使うらしいけど、このお店ではお酢を使用しています」、と言っていましたが、コズィード・ア・ポルトゲーザでもアップルサイダーを使っているイメージがないので今思えば聞き間違いかもです。こーとーか。
ムーサンモー หมูซัลโม
煮込んだ肉をちょっと揚げたようなもの。
揚げた油を利用してソースを作っているらしく、非常に肉肉しい味がしました。
パサパサにならないように豚肉の中に豚の脂身を入れ込まれているんだとか。
お肉に添えられたお野菜が西洋風ですが、味は中華料理風でした。
これまたオーナーさんの話ですが「ステーキを元にしています。本来なら朝ごはんとしてパンと食べるメニューだったのを、ご飯と合うようにアレンジした」のだとか。
朝ごはんにステーキ??昔の人はそうだったのかな…?
ちなみに宮廷料理も
サイアム・ポルトガル料理とは異なりますが、バーンサクントンでは宮廷料理も味わえます。
サクルトン家の親族に現ラタナコーシン朝の昔の王様(おそらくラーマ2世)の女官をしていた方がいたそうで、王室料理の作り方も代々継承されてきたようです。
食べるのが勿体無いくらい飾りつけが可愛いかった〜!
ーーーーー
以上、サクルトンハウスでいただいたサイアム・ポルトガル料理でした〜!
正直、ほぼほぼ今日のポルトガル料理の原型との乖離が激しいので、名前にポルトゲースってつけてナンプラーやパクチーなどを使った料理ならなんでもサイアム・ポルトガル料理になるんじゃね?なんて思ってしまったところはあります。
が、たとえば現代の日本でも、「タイ・ガパオライス」なんて名前で、ガパオ抜きのただの肉炒めが街中で売られていますが、ガパオライスを知らない人にはこれが日本ナイズドされているとは気づかずに食べられていたりしますよね(ガパオってバジルの一種の名前で、タイのガパオライスには必ずこのバジルが含まれていい香りがするんです。で、大体のタイのガパオは信じられないほど辛い上に野菜はほぼ皆無なのです。)。
要はそのようなことが数100年も昔のタイで行われていて、そこから代々伝わっていった結果たどり着いた料理がこのサイアム・ポルトガル料理なんだな、と思えた趣深い料理です。
だけどもだっけっど、それはあくまでタイ料理とブラジル料理を知る日本人ぴょんぴょ子の感想。なので実際のポルトガル人がどう思うかは別の話。
オーナーさんの話だと現代において本場のポルトガル人がこのお店に食べに来たことがあったそうで、これらのサイアム・ポルトガル料理はポルトガルでもあるのか?と尋ねたところ、「見たところポルトガルの地方料理っぽい」との答えが返ってきたらしいです。
なので、もしかしたらサイアム・ポルトガル料理は見た目は絶滅危惧料理なんかではないのかもしれません。
いずれにせよ、少なくともタイでも日本でもブラジルでもほとんどお目にかかれない料理であることには変わりないので、貴重な体験をさせてもらったように思います。
ちなみにですが。。。!
このようにサイアム・ポルトガル料理に関してはクディヂン集落でしか堪能できないかもしれません。
が、スイーツはというと、実はタイ全土で食べることができるものが多いのです!
ポルトガルの影響を受けたスイーツについても知りたいよって方は、是非是非こちらの別記事をご覧ください〜!!!☟
ではでは!さわっでぃー&ちゃおTchau!
参考:https://www.botecoportugues.com.br/post/bolinho-de-bacalhau-conheça-a-história-dessa-iguaria-portuguesa、https://www.sarakadeelite.com/brand-story/baan-sakulthong-portuguese-siam-recipe/,https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjC1emI2LKBAxUwU_UHHRhLCPYQFnoECCEQAQ&url=https%3A%2F%2Fjornalsabores.com%2Ftrouxas-de-ovos%2F&usg=AOvVaw3A-hVOSjGnxir6LdYHDxgB&opi=89978449、https://apoma.pt/produtos/
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